福島第一事故情報
放射線による環境への影響
福島県の除染状況と課題
東京大学大学院教授 田中 知 氏 (たなか・さとる)
1950年 大阪府生まれ。専門は、核燃料サイクル、放射性廃棄物、核融合工学など。東京大学工学部原子力工学科、同大学工学系大学院博士課程を経て、94年同大学大学院工学系研究科教授(システム量子工学専攻)、2008年から原子力国際専攻教授。2011年度には日本原子力学会会長を務めた。
── 3.11から約1年8か月。先生は福島県の除染アドバイザーをお務めですが、被災地の復興の状況をどのようにご覧になられていますか。
田中 昨日も福島に行きました。午後3時頃にはどんどん気温が下がり、福島市の温度が13℃ぐらいだと、川俣町などは、10℃を切るぐらいになります。これから冬になり、雪が降ると、除染が遅れ、来年の春になると事故から2年経ちます。そうこうしているうちに、すぐ3年経ち、復旧・復興があまり進まないうちにあっという間に時間だけが経っていくことが大変気になります。
それなりに復興は進んでいるとは思いますが、もう少しスピードを加速できるのではないだろうかと思っています。
── インフラの状況はいかがですか。
田中 最近の新聞によると、12月から国道6号線に市町村の関係者などが通れるようにするようです。冬場に115号線や114号線で福島のほうから浜通りに行くのは、結構厳しいこともあり、6号線は一部を通れるようにしたのでしょう。
常磐自動車道も除染を進めて、来年の4月から6月あたりに一部区間を通れるようにすると言っていますが、事故から2年も経ってからです。
インフラが整備されることが、復興や除染の加速になるのは当たり前ですが、なぜそんなに遅れたのか。悪い言い方をすれば、インフラ関係の整備が重要だとわかる人が少なかったのか、わかっていてもできなかったのか、そんなところでしょうか。
除染が遅れている理由の1つは、仮置き場が見つからないことだ
── がれきの状況はいかがですか。
田中 まず、森林、山林の除染をどうするかが重要です。住んでいる方々の家の周りの木を枝打ち、伐採したり、草などを取って出た廃棄物がありますが、今はそのまま袋に入れて置いています。それが発酵して臭いもするため、焼却・減容して、その灰を貯蔵すればいいのですが、焼却装置設置がなかなかできておらず、行き渡らないという問題があります。
焼却自体はダイオキシンの焼却技術がありますから、セシウムが周りに出ないように十分できますが、まだ少し遅れています。もちろん、地元の方々の了解を得にくいということもあるでしょう。
また、がれきといっても、植物だけではなく、泥や樋の下の土など植物以外のものもあり、それらも袋に入れて置いているだけです。
除染が遅れている理由の一つに、仮置き場がなかなか見つからないことがあります。少しずつ進んでいるところもあるにはあります。除染は国の直轄でするところと市町村が中心でやるところがあります。市町村がやるところで、かなりうまくいっているように見えるのは、市町村の方が住民の方々とよく意見交換や相談をしているところです。地元の人と意見交換をしたり、何とか前向きに進めなくてはいけないと市町村の人が理解しているところは早く進んでいる感じがします。
しかし、もっともっと除染のスピードを加速できるのではないでしょうか、また、加速させなければいけないですね。
── 報道だけで見ると、除染が進まないという声だけが聞こえてきますが。
田中 少しずつ数字は、上がってきています。福島市にある県と環境省によってできた除染情報プラザに行くと、どこどこの状況がどうで、今、交渉中、あるいは、ある市町村での家屋の除染は何%やったということなどがわかるようになっており、徐々には進んでいます。少しは数字が増えていることはうれしいのですが、そのスピードから見ると、絶対的に遅いと思います。
地元の農民や商業をしている方々、住んでいる方々の声がやはり重要だと思います。単に環境省や県のほうで「どれだけ除染が進んでいます」と言うのではなくて、当事者の人たちがどう思っているのかが重要です。
南相馬市は今年度作付けできなかったのですが、農家の方の目から見れば、来年作付けできるかどうかは、農水省がやった試験結果を見て考えると言っています。営農という観点から見れば、全然進んでないのです。行ってみれば、田んぼは草ぼうぼうです。4月から線引きが行われて、年間20ミリシーベルト以下のところについては、昼間は帰れますが、夜は帰れません。
最終的に1ミリシーベルト以下にする目標を持ちつつ除染をどう進めるか
── 今、実際に除染や放射線量などは、どうなっていますか。
田中 放射線は、高いところと低いところとさまざまです。警戒区域と避難準備区域だった飯舘村などは、今後国の直轄で除染を進めていくところです。帰宅困難区域が50ミリシーベルト/年以上、居住制限区域が20~50ミリシーベルト、それから避難指示解除準備区域が20ミリシーベルト/年以下です。こういうところはこれから除染していくのですが、帰還困難区域はまだ計画をはっきり詰めていないですね。市町村単位ごとに国の直轄でやりますが、どこの業者がどのようにやっていくのかは、選定中のところもあります。
除染をしていけば、放射線量が高いところは結構下がります。1ミリシーベルト以下が最終目標と言っていますが、そこまでは簡単には下がりません。しかし、最終的に1ミリシーベルト以下にするという目標はしっかりと持ちつつ、それに向けて着実に、また同時に時間軸も見ながら、どう除染を進めていくのかが重要ですね。
例えば、20ミリシーベルト/年のところを普通の方法を使って除染すると、5ミリシーベルト/年くらいまでは下げられると思います。それをさらにどうするかは、もう少しいい方法を考えていかなければなりません。
福島市や郡山市は今、1マイクロシーベルト以下になり、0.6マイクロシーベルト/時前後と言っていますから、2~3ミリシーベルト/年ぐらいでしょうか。このような場所が、さらに市町村単位で除染をしていくのです。
そうなると、かなり面的に、どこが一番効果的かよく考えて除染していかなければなりません。逆に言うと、約2年経っているため、雨などで全部流されているところがあります。今放射性物質が残っているところはどこなのか、面的に考えて、効果的な方法で除染していかなければ、2のところを1ミリシーベルトにするのは難しいでしょう。
福島市、郡山市、中通りなどが2~3ミリシーベルトだとすると、それを下げていくには、例えば古いコンクリートなどの隙間やブロックの目地のところ、また、後ろに山林があると、そこから飛んでくる放射線もあるため、あまり効果のないことをやってもだめです。
どこがどのような汚染レベルになっているのか、それを今後はどう除染していけばどれぐらいに下がっていくのかという目安をある程度もちながらやるべきだと思います。
── 効果的な除染方法はある程度分かっているのでしょうか。
田中 これまでも様々な除染のモデル事業をやりましたから、もっと放射線量を下げるには何をしなくてはならないかは大体わかっています。無駄なことはせず効果的なことをやることが大切です。逆に言うと、線量が下がらない場合は理由があるわけですから、その理由が何か考えて、またフィードバックしながら進めていくことになるでしょう。
道路は、目地のところや周りの森林などを除染しなくてはならないでしょうし、今後、農地をどう除染していくかがまた重要なところです。
昨日(11月4日)、JA相馬のJAまつりでした。たまたまJA相馬の理事長と話していたら、飯舘村は来年、農地も含め除染すると言っていました。しかし、その農地の除染方法は誰も言っていません。濃度の高い飯舘の長泥あたりは表面を削らなければいけないかもしれません。表土の天地返しか、深耕でしょうが、方向性を示してあげないといけません。
農家の方も深耕や天地返しは自分たちでできます。となれば、「自分の農地は自分できれいにするんだ」ということになっていくでしょう。表面を削るといっても、何ヘクタールを何センチ削ったらどのぐらいの量になるか、そのボリュームを考えて、仮置き場をどうするのかも考えなければなりません。
飯舘村には国有地があるため、そこを仮置き場にということになっていますが、「仮」置き場といっても安全にしなければなりません。仮置き場の場所を整地・整備して、周りにも対策をとる必要があるため、少し時間がかかっているようです。
しかし、「そんな立派なものをつくったら仮置き場が仮置き場でなくなる」と考える人もいます。仮置き場から中間貯蔵施設、最終処分場、そのストーリーをしっかりつくっていかなければなりません。
セシウムは土の中の0.002ミリぐらいの小さな粘土粒子に付いていて、粒子と粒子の隙間に入り込んで、なかなか出てきません。ですから、土の表面に付いているものは、雨が降っても落ちないので、土の表面を何センチか取ればきれいになります。
取ったものをどうするかが問題ですが、逆に言うと、除染して取った土からセシウムを含んだ粘土粒子だけを取る(分級)ことができればいいのです。しかし、100%粘土粒子だけを取る技術はありません。90何%がいいところです。分級すれば、放射線量は下がるのです。
しかし、雨が降って、山の土などが流されていったりすると、泥も一緒に流れます。それが川底に沈殿するので、川底の放射能は高い。さらに流れていけば、海の下に沈殿して、アイナメなどの深海魚は海の底の苔などを食べるので、放射能が高くなります。
農産物では、桃の放射線量はそんなに高くありませんでしたが、福島名物のあんぽ柿は今年も無理ですね。米は、今年度作付けできないところが来年度、作付けできるかどうか。これはこれから大変心配なところでもあるし、一方で、土がどれだけ汚染していると米にどれぐらい影響するのか、というデータが十分ないので、今後の試験の中でそのデータを集めることも重要です。
まだ、はっきりわからないのは、落ち葉や枯れ葉に付いているセシウムがあった場合、そこに水がきて、微生物やバクテリアか何かが影響して、水の中にセシウムが溶存形で溶けていくのかどうかです。水にセシウムが溶けると、植物は一気に吸います。そこのメカニズムはもう少し研究する必要があると思います。セシウムが付着している落ち葉などがあり、そこを流れてきた水が田んぼの中に入って米に吸われるということになりかねないでしょう。
セシウムがどのように植物や農作物に移行するのか、それが再汚染になるのか、それらのことも解明しつつ、除染も進めていくことになるでしょう。
去年、福島市の大波のあたりで米の放射能値が若干高く出ました。そこの土地の放射線量はそんなに高くなかったのかどうかはわかりませんが、8月頃に田んぼに入れた水が、おそらく汚れていたのではないか、あるいは田んぼの土壌の中の有機物に付着していたセシウムが何らかの作用で溶けたかと思います。再汚染ではありませんが、そのあたりのこともよくわかっておかないと、除染もうまくいきません。
中間貯蔵場の前に仮置き場をしっかりやる必要がある
── 福島県の復興・復旧の遅れについてどう考えますか。
田中 復興の遅れの原因は除染の遅れだけではないと思いますが、除染の遅れが大きな要因であることは事実です。放射能汚染がなければ、宮城県や岩手県と同じレベルで復興がどんどん進んでいると思います。
どうして除染が進まないのか、その背景の1つは、仮置き場です。要するに、除染するには、国に対して除染計画をつくり、どのような除染をするのか、どこに仮置きするのか書かなければなりません。仮置き場は、結局「自分のところはいやだ」となって進みません。
中間貯蔵施設には仮置き場に仮置きした後、持っていきますが、2、3年のうちにしっかりつくらなければいけない。先頃も国から何か所か提案されていましたが、その前にまず仮置き場をしっかりとやる必要があるのです。仮置き場は、言葉どおり仮置きですから、そこが進まないと除染が進まないのです。
ですから、中間貯蔵施設が決まらないから除染が進まないということではなく、仮置き場がなかなか決まらないことが問題です。仮置きをやっていく中で中間貯蔵施設のこともしっかり取り組まなくてはならないでしょう。
中間貯蔵施設についても、何個つくって、仮置き場からどれぐらい持っていくか。持っていくには汚染度のレベルで分けて持っていかなくてはならないといったことも考える必要があります。
中間貯蔵20~30年といっても、その後どうするのか。国は、すべてを県外の最終処分場にと言っていますが、レベルの低いものは中間貯蔵施設で終わっていいかもわかりません。高いものは最終処分場に持っていくが、濃度が高く、ボリュームがあったとしても、うまく減容したら、最終処分場の面積が少なくなるでしょう。全体のストーリーをよく考えないといけないですね。
また、同時に、除染方法について国がお金を出すときに、国が福島の市町村の考えを了解しないといけないと思います。例えば、「この方法で除染をすると、放射線量が下がります。予算をください」というようには簡単にはいきません。申請書などの書類の煩雑さも問題です。書類を市町村や担当者が書くときにサポートするようなしくみがなければ、書類が遅れ、また計画全体が遅れていくのです。
── 除染する人数、マンパワーは足りていないのでしょうか。
田中 それはありますね。国の直轄でやるところは、大体ゼネコンやベンチャー企業が競争入札の結果で受注していますが、ゼネコンといえども、人手は足りないくらいです。
もっと人手が足りないのは、市町村が主体となって除染をするところです。今、宮城県や岩手県でも復興をやっているため、どうしても人手がとられてしまっています。
福島の除染をする場合は、それなりに放射線のことをわかってもらわないといけないので、県が講習会をやっており、人もたくさん来ています。しかし、数字的にははっきりとはわかりませんが、足りていないと思います。
ですから、汚染の低い所などはボランティアの方々などにどう手伝っていただくかも考えれば良いと思います。その場合、ボランティアの方々には、1日に何千円かの日当でも払えるような仕組みも考える必要があります。
復興計画をつくるときに、福島県は汚染のことがあり、やや遅れました。その遅れが今も残っており、人もそちらに取られていますから、復興庁がしっかり考えて、被災地全体としてどう復興していくのか、あるところだけが遅れることがないように調整していってほしいですね。
南相馬の原ノ町の南のほうで、この4月になってようやく人が入れるようになったところがあるのですが、1年間何もしてなかったために、家は傾き、草はぼうぼうです。あれを見ると、「同じ日本でいいのかな」と思いますね。
いい産業がきてくれないことには若い人も帰ってこられない
── 住民が帰還してこそ真の復興になると思うのですが。
田中 だいぶ下がったとはいえ、今でも放射線の影響がありますから、小さなお子さんをお持ちの場合はなかなか簡単にはいきません。放射線の影響を説明しても、最後に帰還するか決めるのは皆さんですので……。
南相馬市のある小学校では、去年は1年生の入学者が100人いたのが今年は20人で、5分の1です。若い人がどんどん減り、老人の割合が増えると、人口当たりの病気になる率が高くなります。それを見て、「やはり放射線の影響ではないか」と言う人が出てくるのです。
また復興の中でいい産業がきてくれないことには若い人も帰ってこられません。農業、林業、牧畜だけでは、人数も限られます。復興の中で今後産業をどうするのか、人が安心して住めるだけではなくて、営農や林業、牧畜などが安心してできるような仕組みをつくらなければならないと思います。
いわき市は、すぐ南が高萩で、北関東地方の一部のようなところです。一方、相馬の新地などになると、北が仙台です。宮城県の経済圏です。今でも相馬からバスや車で仙台まで行けます。そうすると、相双地区(相馬・双葉地区)が孤立してしまうのです。また冬になると、東京方面から行きにくくなります。国道6号線が通っていますが、常磐自動車道も早く通さないと、福島県のこの地区だけ孤立したところになってくる。国としてそういうようなところがあっていいのか。いけないと思うのであれば、もっと国を挙げて復興に力を入れなければなりません。
── 帰村宣言をした川内村なども、なかなか思うようには村民に戻ってきてもらえないと聞いています。
田中 除染をしっかり進め、復興の現状と将来の見通しを国、県、市町村が「現状はこうですが、今後このような見通しをもって復興を進めていきます」と示さなければならないのではないかと思います。
昨日、県の委員会があり、ボランティアによく来ている人と川俣町の山木屋というまだ放射線量が高いところに一緒に行ってきました。仮置き場もありましたし、除染をしていた地元の人が「除染の試験をしている」と言っていましたね。そのような人たちを大事にしていくと同時に、現地の方々の思いや願いを県や国がもっと理解してあげないといけないと思います。
「福島特別プロジェクト」を創設し原子力学会としても福島支援を始めた
── 先生が会長を務めていらした日本原子力学会でも、事故の分析を改めてやられていると伺いましたが。
田中 学会でも事故調査委員会をつくりまして、今ちょうど取り組んでいるところです。来年(2013年)3月には中間報告をする予定です。原子力学会らしい専門性をもった調査結果を出したいと思っています。事故の原因や遠因が、政府のどこにあったというようなことではなく、本当に科学的な調査、分析をしっかりとやりたいということです。
早い時期から、福島の佐藤知事や県から学会に対して期待していただいているところが大きく、我々のほうがびっくりするくらいでした。佐藤知事などは「除染などについては原子力学会のアドバイスに従ってやる」と早い時期から言われ、私や何人かの方が除染アドバイザーに任命され、さまざまな講習会や対話集会に行ったりしていました。
除染アドバイザーは講習会などの講師を務めると同時に、県がいろいろな除染技術について審査、評価するときの委員も務めます。また、除染を進めていく中で原子力学会と福島県の主催、共催で対話集会なども行っています。新しくできた原子力規制委員長になられた田中俊一氏も除染アドバイザーのメンバーでした。
試行錯誤的なこともありましたが、やはり福島の現地の住民の方の立場に立っていろいろ活動すべきです。私が会長の任期を終えた6月以降も活動が鈍らないようにしたいという思いから、原子力学会の理事会で議論をし、「福島特別プロジェクト」を創設し、除染などの技術支援などの活動をしています。
福島駅前に原子力学会の福島除染プロジェクト室などをつくって、学会員を常駐させ、何かあったらすぐに行動を起こせるようにしたいのですが、予算がなく、なかなかできません。
しかし、福島県と環境省で運営している福島除染情報プラザに、週末は必ず原子力学会から2人派遣して、専門家としていろいろと質問に答えたり、アドバイスをしたりしています。環境省にも協力いただきながら、様々な活動を行いたいと思っています。
(2012年11月5日)