コラム
【特別寄稿】東日本大震災・原子力災害伝承館 開館にあたって― 原子力災害の記録と記憶を後世に ―
2011年3月11日に東日本大震災が発生し、それに伴う津波により、福島県双葉郡大熊町と双葉町にまたがる福島第一原子力発電所で、原子力災害が起きました。
そして9年数か月経った今、その複合災害について多くの人に知ってもらおうと、福島第一原子力発電所北側から3キロ離れた場所に伝承館がオープンします。
今回、館長に就任された長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野教授の高村昇さんに寄稿していただきました。
福島は事故から丸9年が経過し、来年2021年3月には10年という節目を迎えます。
この間、福島は原子力災害からの地域復興という誰も経験したことのない困難に立ち向かってきました。福島でこの10年間で蓄積された災害の記録と記憶を国や世代を越えて伝えることは、今後の福島、さらには福島第一原子力発電所が立地する太平洋沿岸の「浜通り」地域にとって極めて重要であるといえます。
このような状況を踏まえ、福島県は福島第一原子力発電所が立地する双葉郡双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」(以下、伝承館)を2020年秋に開館することを決定しました。私が住む長崎には原子爆弾による被害の実相を広く国内外に伝え、永く後代まで語り継ぐとともに、歴史に学んで核兵器のない恒久平和の世界を築くことを目的として「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」という施設がありますが、伝承館も同様の役割を果たすものと考えています。
伝承館は当初2020年7月に開館予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で内部のコンテンツ作りが遅れ、同年秋に開館することになりました。私自身も外出制限の影響でなかなか足を運ぶことができなかったのですが、ようやく2020年の6月上旬に伝承館へ伺うことができました。地震、津波、そして原発事故によって甚大な影響を受けた双葉町ですが、インフラの復旧や除染を経て2020年3月に一部地域の避難が解除され、伝承館もそのエリアに建てられています。三階建てでガラス張りの美しい建物では、20名あまりのスタッフが開館に向けて着々と準備を進めています。
24万点余りの資料を収集
すでに伝承館は24万点余りの資料を収集しており、そのうち約150点を展示エリアに展示する予定です。資料の中には国内外からの応援メッセージやさまざまなイベントで配布されたプリントといった紙資料や、デジタルデータや現像写真、フィルムを含む写真資料、さらには震災直後の映像や、川内村で避難を促した防災無線の音声などの映像・音声データなどが含まれています。津波や地震に加え、原発事故による被害を受けた福島は、岩手や宮城、さらには原爆の被害を受けた広島や長崎と違い、構造的に「破壊」されたものは比較的少なく、むしろ被災地全体が長期間に及んだ避難によって「タイムカプセル化」された状態で保存された状態になっています。そのため伝承館で収集された資料は、いわゆる「モノ(物)資料」よりも紙、映像、音声といった一次資料、さらには当時の混乱する福島の状況を報じた新聞や冊子といった二次資料が中心となっています。
また伝承館では、これまでの福島における災害への対応、復旧・復興に係る経験と記録を教訓として体系化し、教訓を抽出するとともにさまざまな手法で情報発信することで、復興および防災を担う人材の育成を図ることを目的として、調査・研究事業を行なう予定です。伝承館における調査・研究は、世界で唯一の地震、津波と原子力災害という複合災害を経験した福島において、そこから得られた教訓を、世代を超えて継承するためには必要不可欠な事業であると考えています。具体的な研究テーマについては、これから議論を深めていきたいと考えていますが、予想していなかった原子力災害の発災において、放射線影響への懸念にどのように対応したのか、リスクコミュニケーションがどのように実施されたのか、あるいは複合災害において行政がどのような対応をとったのか、地域コミュニティや地域産業が、原子力災害による崩壊を経て、どのように再生していったのか、その中で住民意識はどのように変遷していったのか、などといったことについて、専門家や学会等とも連携しながら研究を進めていきたいと考えています。
さらに伝承館では、隣接する双葉町の産業交流センターや国内外の大学、あるいは国際機関等とも連携しながら、国内外の若手専門家や学生等を対象としたセミナーを開催し、防災やリスクコミュニケーションの専門家を養成していきたいと考えています。
2011年の原発事故からまもなく10年が経過しようとしています。私自身は事故直後から福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーとして県内各地でクライシスコミュニケーション(危機発生時のコミュニケーション)を行なってきました。さらに事故の収束後は、いち早く帰還を開始した川内村に長崎大学の復興推進拠点を設置して支援を行なったほか、富岡町、さらには大熊町への支援もしてきました。帰還から8年が経過した川内村は住民の帰還率が8割を超え、日常を取り戻しつつ村の将来を見据えた取り組みが進められています。その一方事故から6年後に帰還を開始した富岡町は帰還した住民はまだまだ限られているのが現状で、いまだ復興の途上にあるといえますし、昨年一部地域の帰還を開始した大熊町は、復興の緒に就いたばかりの感があります。
このように現在の福島は、地域や自治体によって状況が大きく異なっており、今後も地域の状況、特性に合わせた復興支援が必要であると考えています。事故から10年あまりが経過し、多くの日本人にとって福島の原発事故が過去のものとなりつつあります。しかしその一方で、福島県では県内避難者が7600人余り、県外避難者が3万200人余りで、あわせて3万8000人余りの方が、いまだ故郷に帰還できない状況にあることを、私たちは忘れてはならないと思います。
福島の復興の証を次の世代に
私自身は医療の専門家であり、いわゆるアーカイブス学の専門家ではなく、昨年福島県から伝承館の館長就任を打診されたときには大変驚きました。しかし、この10年あまり長崎と福島を行き来しながら、福島の復興に多少なりともかかわってきた者として、福島の復興の証を次の世代に伝え、福島の経験を活かして国内外の人材を育成するという伝承館のミッションに共鳴し、館長就任を引き受けた次第です。今後は私もスタッフの一人として、来館された方が来てよかったと思える、学びに来られた方に十分な知識を提供できる伝承館にするべく、また、そのことを通じて「浜通り」を新たな産業、教育の一大拠点とする「福島イノベーション・コースト構想」の一翼を担うべく、尽力したいと思います。
今秋の開館後、「原子力文化」読者の皆様と、伝承館でお目にかかることを楽しみにしております。
なお、伝承館の詳細については、ホームページや、福島イノベ機構のフェイスブックといったソーシャルメディアで適宜情報を公開しておりますので、ぜひご覧ください。
高村 昇 氏(東日本大震災・原子力災害伝承館 館長・長崎大学原爆後障害医療研究所 国際保健医療福祉学研究分野 教授)
長崎市出身。1997年長崎大学医学部大学院医学研究科博士課程修了後、同大学助手、准教授を経て、現職。世界保健機構(WHO)本部技術アドバイザー、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館における資料展示の製作監修も務める。また、川内村、富岡町や大熊町において帰還する住民に対するリスクコミュニケーションや長崎大学学生等による研究(フィールドワーク)及び医療支援活動に精力的に取り組んでいる。