コラム

笑いは万薬の長

福島1Fの今

宇野 賀津子 氏 《(公財)ルイ・パストゥール医学研究センター インターフェロン・生体防御研究室長》


『原子力文化2017.5月号』掲載


福島1Fの今



3月の末、約2年ぶりに2014年、15年に続いて三度目の1F(福島第一原子力発電所)視察の機会を得た。前2回は20キロ圏にある楢葉町のJビレッジから1Fに向かったが、今回は富岡町にある東電の旧エネルギー館から出発した。1Fまで9キロ、ずいぶんと近くなった。
今回は、2015年5月の時にもうすぐ出来ると聞いた食堂で昼食をとった。日替わりでA、B定食に加えて麺、丼、カレーセットと選択肢は5種類、いずれも380円だった。大熊町でつくられて、運んでいるとのこと。温かいおいしい食事は何よりも、仕事の場を元気にする。明るい少し小さな大学食堂のイメージ、もちろん作業服のおじさんやお兄さんが大半だった。
今回大きく変わったなと思ったのは、構内が整備されたこと。前回は切り倒された木が野積みされていたが、今回はほとんど目に入らなかった。また、ボルト締めのタンクも減少し、大きな溶接型の一体型のタンクとなっていた。タンクの廻りには屋根が取り付けられ、雨水が堰の内側にたまって、万が一、タンク内の水が漏洩した際にも混じらないよう、汚染水を少しでも減らそうと涙ぐましい努力がなされていた。
2015年の視察では主要道路が舗装されていたが、今回は斜面も含め黒っぽい土が見えたのは、ほんの一部、桜の木の下だけと言ってもよいほど、モルタルやアスファルトで覆われていた。雨水の地下への浸入を減らし、放射線の遮蔽効果を考えてのことである。
従って構内の線量は低く、1マイクロシーベルト・パーアワー以下のところも多かった。作業員の方も以前のように白のつなぎのタイベックではなく、マスクと簡易型の防護服の人が多かった。
2014年は、多くの建物もまだまだ線量が高く入れないと聞いたし、いったんタイベックを着たらトイレもままならない、1Fは線量が高く十分な防護なしではとても近づけないところというイメージであったが、大型休憩所が出来、構内も1~3号機付近はまだまだ高いものの、それ以外の所は普通に人の働けるところになりつつあると感じた。
すでに4号機からは燃料は取り出された。今、3号機にかかっているという。もうすぐ、3号機燃料取り出し用のドーム型カバーが取り付けられる予定とか。まだまだ長い道のりだろう。お聞きしたところでは、色々なロボットが活躍しているとか。途中で止まってしまったものもあるものの、それなりに仕事を果たして、少しずつではあるが、原子炉内の様子も明らかになりつつある。 今回、広野町、楢葉町、富岡町を通って1Fに入ったが、広野町、楢葉町、富岡町の一部で耕された田んぼを見ることができて、ちょっとうれしくなった。広野町では、ふるさと納税された方に特別栽培米がプレゼントされるとか。
広野町、楢葉町に加えて4月には富岡町の多くの部分が避難指示解除となるとのことで、きれいに整備された家や、コンビニを行き交う人の姿を見ることが出来た。2015年に来たときは、人の姿もなく時間が止まったままの場所が多かったが、今回は、車やら人の姿を見ることが出来た。多分、まだまだ1Fで働く作業員さんが中心の町かもしれないが、徐々に人の営みが戻ってきて、発展していくことを願っている。

(『原子力文化2017.5月号』掲載)

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