コラム
笑いは万薬の長
女性研究者:生き方バラエティ
宇野 賀津子 氏 《(公財)ルイ・パストゥール医学研究センター インターフェロン・生体防御研究室長》
『原子力文化2017.10月号』掲載
女性研究者:生き方バラエティ
7月の末に京都大学の一角で、「女性の生き方バラエティ」と称した、女性研究者の集まりを開いた。
私が大学院に入学したとき、「婦人研究者連合」(後の女性研究者の会・京都)という女性研究者の会があり、当時まだまだ少数であった女性研究者同士集まって、情報交換をしていた。この組織をつくった方々は1965年に京大内にある朱い実保育園をつくった人たちでもあった。
保育所を作り、学童保育を作って、子育てした人が身近にいた事は、子どもができても研究者としてやっていける自信となった。 その後、仲間は就職して日本中に散らばっていったこともあって、年に一回便りを発行していたが、ネットの発達と共に十数年前から、メーリングリスト(ML)を立ち上げた。その後はMLでの交流が中心となり、集まることも少なくなっていた。「女性研究者の会・京都」の会員は百数十人ほどだったが、各大学で女性研究者支援の動きもあり、多くの人に声をかけて、仲間は300人を超えていた。
メールの中身は関係ある会の案内や女性教員公募の情報とかであるが、男女別姓問題や、結婚前の名前でパスポートを取る方法では盛り上がったし、外国留学の前に経験者からのアドバイスを得た人もいる。3.11直後、東北大からはネットが繋がった! 福島県立医大からは、今日からおにぎりが配られた、神戸からは阪神大震災の時の経験の情報も届いた。その後私は福島での活動も時々、紹介していた。学会などでお会いすると、いつも読んでいますよ、と声をかけられた。
もとの会員の多くは、定年退職した方も多く、一番若い世代でも50代となっていた。一方で京大の中では、若い子育て世代がランチ会を開いたりして頑張っていた。古い世代と、若い世代をつなぐ必要を感じ、「女性の生き方バラエティ」と称した前述の集まりを開こうと決めた。旧中心メンバー4人が集まって候補日と会場と話題提供者を決めた。あとはメールでとなったが、スピーカーの依頼、会場確保、プログラムをつくり、ビラつくり、皆それぞれがサクサクと出来ることをこなした。女性研究者は器用だな!と改めて思った。
当日、20代から80代までの研究者が50人ばかり集まった。さらには、一歳半の双子を含め子どもたちも数人参加、わいわいがやがや、部屋の後ろにシーツを敷いて保育スペースとした。理論物理学からポピュラーサイエンス翻訳者になった人、民族学をやっている脳神経外科医、数学の教諭になった人などなど、いずれも与えられた環境の中で、悩みつつ精一杯努力し道を切りひらいていた。その後参加者一人ひとりが、各々の「今」を語った。中には一歳半の双子を両手に抱えてあやしながら話す方もいて、保育時間外に子どもを負って実験した昔を思った。女性研究者は特に境界分野に進出した人も多い。かく言う私も発生学、免疫学ときて、今何故か放射線の影響や、twitter解析にまで手を伸ばしている。これも幅広い研究者と交流を重ねてきた強みかと。
実は放射線生物学の分野では、女性疫学者エリザベス・カーディスや、エリーヌ・ロンなどの貢献も大きい。この辺はまたいずれ。
(『原子力文化2017.10月号』掲載)
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